なぜ私が日本に来たか1

私の名前、「中島マルコス」を見た人は、きっと不思議でしょうね。外国人なの?どこの国の人なの?なぜ日本にいるの?会社の社長が外国人なの?

 

私はペルー人です。ペルーの首都リマで生まれました。ペルー人の私がなぜ日本で人材派遣会社の社長になったか、それには長い物語があるのです。

 

以前ペルーでは政府に対するテロが横行していました。ペルー日本大使公邸占拠事件を、テレビで見た記憶がある方もいらっしゃるでしょう。テロリストがリマの日本大使公邸に、多数の外国人人質を取って立てこもった事件です。また、日系ペルー人のフジモリ大統領が、テロと戦った大統領だと聞いたことがある方もいらっしゃると思います。以前のペルーは、本当にテロが激しかったのです。

 

テロリストは毎日のように政府関係の建物や銀行を爆破したり、警察を襲ったりしていました。爆発も人が死ぬのも日常茶飯事。まだ子どもだった私は、「昨日はあっちが爆発した、今日はこっちだ」などと、当たり前のように思っていました。怖かったかと言われれば確かに怖かったのですが、でも生活とはそういうものだと思っていました。それ以外の世界を知らないので、テロのない状態など想像できなかったのです。

 

当時、大学はテロリストの根拠地になっていました。大学に入学すると、学生たちはまずテロ組織に入るように勧誘されるのです。いえ、勧誘なんて生やさしいものではありません。組織に入るのを断われば家族を殺すと脅されるのですから、脅迫ですね。家族を殺すと言われても組織に入ろうとしないと、テロリストたちは本当に学生の家族を殺しました。それでもなお組織に入ることを拒否すると、今度はその学生を殺しました。大学生はテロリストになるか、殺されるかしか選択肢がなかったのです。

 

その頃私は高校生で、大学進学を目指していました。でも両親は、このまま大学に入学させても、テロリストになるか殺されるかだと悩みました。そして両親は、私を国外に逃がす決心をしたのです。